記念艦 

日本は日清戦争で遼東半島を獲得したが、武力を背景とした不当な三国干渉(ロシア、フランス、ドイツ)により失った。
力こそがすべての時代であった。

力がなければ欧米諸国の横暴に太刀打ちでがきないのである。

さらにロシアは横取りした遼東半島に旅順艦隊を配備

念願の不凍港を確保したのである。

そして満州、朝鮮半島へと露骨な南下を示してきた。

ロシアとの国交断絶、開戦やむなき・・・・

国民が一丸となり「臥薪嘗胆」を合い言葉に、力を蓄えてた日本とロシアはついに激突したのであった。

朝、7時過ぎ「よこすかちゅうおう駅」に到着

三笠公園に続く散歩道

あいにくの曇り空であるが涼しくていい。

開園は8時であった。

ベンチにて浮浪者のごとく寝る。

ようやく8時開園、まずは東郷平八郎の銅像に向かう

銅像なのに感動する・・・

大東亜戦争の敗戦により栄光の三笠は国民の忘却のかなたとなり、占領軍の命令により荒廃した。

しかし、世界情勢の落ち着きとともに政府、国民、米軍の協力もあり昭和36年記念艦として復活したのである。

開園は8時だが、開艦は9時・・

まだ一時間もあるではないか・・・

 

とりあえずはじっくりと外部を観察した。

 

 

 

※ 東郷司令長官率いる連合艦隊

旗艦三笠

 

その任務は日本海における制海権の確保である。

陸軍の活躍もありロシアの旅順艦隊は壊滅した。

 

残るはアフリカ喜望峰を越えてはるばるやってくるバルチック艦隊を迎え撃つのみであった。

6インチ砲、3インチ砲が並ぶ側面

 

戦艦同士の戦いでは側面を相手の正面に向けた方が砲台の数で有利となる。

これが秋山真之が考えた丁字戦法の基本である。

あ、こっちが前か!(笑)

大きい菊の御紋がついている。

 

20分ぐらい見たが、もう飽きた。

早く中に入りたい・・・

遂に開艦!

お客さんが少なく一番乗りであった。

目指すは三笠の艦橋である。

三笠艦橋の図(東城 鉦太郎・画)

中央:東郷司令長官

長官の右後方:髭をたくわえノートを持った人物が「知謀沸くがごとし」と言われた名参謀・秋山真之

後方に「皇国の興廃この一戦にあり・・・」を意味するZ旗が翻る。

今、同じ艦橋に立っているのだ

感無量である。

 

東郷司令長官はこの艦橋に立ち、迫り来るバルチック艦隊の敵前8KMにおいて左大回頭を命じたのだ。

旗艦三笠の回頭ポイントで後続の戦艦も次々と回頭

バルチック艦隊を逃がさぬように併行に進行する。

追い越しながら行く手をふさぐように丁字を作り、先頭から一艦毎に、集中砲火を浴びせる作戦をとったのである。


旗艦三笠は回頭からの30分間に実に25発も被弾していたそうである。

(連合艦隊が被った被害の4分の1)
如何にこの回頭が危険であり、大勝負であったかがわかる。

この海戦の勝利により制海権を確保したことが、日本の勝利へとつながった。

12インチ主砲

艦橋から見下ろせる。

艦内の各部屋毎に様々な遺留品や模型などの展示物があり、ボタン一つで丁寧なガイド説明をしてくれる。

パノラマによる海戦の再現や映画やビデオの放映もある。

 

東郷元帥書

皇国の興廃この一戦にあり、各員一層奮闘努力せよ

まさにこの戦争に敗れれば、日本はロシアの植民地となっていただろう。

そしてアジアは永遠に白人どもの支配下に置かれ奴隷となっていたのかもしれない。

 

アジアの小国日本が大国ロシアをうち破った!!

このニュースは全世界を駆けめぐった。

 

この戦争の勝利により日本は世界の舞台へ躍り出た。

そして植民地支配にあえぐアジア諸国に独立への勇気と希望を与えたのである。

食堂かと思ったが、お昼になっても開かなかった。

売店で東郷ビールを買ってきたが

もったいないのでまだ飲んでいない。

戦争のない平和な世の中

誰だってそう願っている。

 

日露戦争から100年である。

 

これを機に、感傷的な反戦平和を唱えるだけでなくアジアの小国日本が何故に相次いで大国と戦わなければならなかったのか、その意味を考え、先人たちの努力に感謝したいものである。

 

明治の気概

取り戻したいものである。

 

 

 

 

05’ 7.24

参考:記念艦みかさパンフレット

NHK 「その時歴史は動いた」

歴史群像シリーズ 図解ひと目でわかる!日露戦争(学研)

 

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byいとま放浪記