ならまちの身代わり猿、元興寺、コスモス寺〜石舞台、飛鳥寺、入鹿の首塚

地図をみると、20年前にこの近くに半年間、住んでいた時期があった。

もったいないことをした。

Greenさんとjunさんから、また撮影会に誘っていただいた。

 

今回は、奈良、飛鳥方面

 

般若寺のコスモスと飛鳥の彼岸花が綺麗だということだった。

 

朝5時、junさんに小牧まで迎えに来てもらった。

 

 

ならまち(通称:奈良町という地名はないそうである。)

8時過ぎ般若寺の開門前に到着したので、その間、ならまちを散策することになった。

古い風情のある街並みが続く

 

庚申堂(こうじんどう)の前にある猿の石像

 

庚申信仰の奈良の拠点

見猿・言わ猿・聞か猿

祈りを捧げる猿

「三尸(さんし)の虫」

 

 

疫病や災難を持ってくる「三尸(さんし)の虫」

 

猿が毛づくろいする姿が、この「三尸の虫」を取って食べているとされ、三尸の虫が畏れるものとして猿が奉られているそうだ。

 

家の軒先に「身代わり猿」というものが吊るされ、厄除けとされ、屋根にはたくさんの猿の像がある。

身代わり猿(悪いことや疫病、災難などの身代わりになってくれる。)

身代わり猿の大きさで、大人や子供をあらわし

家族構成に合わせて吊るされているそうだ。

 

また、猿の背中に願い事を書いて吊るすと願い事が叶うとされ、「願い猿」とも言われている。

国宝「元興寺」

国宝「元興寺(がんごうじ)」

 

蘇我馬子が廃佛派の物部氏を打ち破った翌年に飛鳥に日本初のお寺「法興寺(飛鳥寺)」(後で紹介する。)が建立された。

その後、710年、奈良に遷都(平城京)した際に移設されのが、ここ元興寺である。

ちょっと気持ち悪い人形が中央に

鬼だろうか?

手水舎(ちょうずや・てみずや)の桔梗

石塔や石仏などがたくさんあり、花々も綺麗であった。

酔芙蓉(すいふよう)

これも芙蓉だろうか?オクラの花にも似てる。

コスモス

十三重石塔とコスモス

般若寺(コスモス寺)

 

 

ならまちを散策していると般若寺開門時間を過ぎて10時近くになっていた。

 

般若寺には、もうたくさんの観光客が訪れていた。

 

コスモスは、まだ七分咲きとのことだが、十分綺麗でした。

 

 

 

本堂とコスモス

 

 

手前の石燈篭は、般若寺型、文殊型と呼ばれる名灯篭だそうだ。

 

コスモス写真集

本堂の五色の幕をバックに撮影

色々なコスモスがあった。

35種類15万本だそうである。

 

石舞台古墳と飛鳥寺

 

 

般若寺から彼岸花が綺麗だという石舞台古墳の周辺に移動した。

 

レンタルの自転車があり、周辺を散策するのに良さそうである。

石舞台古墳(蘇我馬子の墓)

 

丘の上から撮影、一瞬観光客がいなくなった。

残念ながら彼岸花は一週間時期が遅く、もう赤色が色あせていた。

 

黄色い稲穂と彼岸花の鮮やかな赤色のコントラストが素晴らしいそうだ。

飛鳥寺

 

 

蘇我馬子が建立した日本最初の寺「法興寺」今は「飛鳥寺」と言われている。

 

先に紹介した「元興寺」の前身である。

 

本尊飛鳥大仏(釈迦如来座像)

鞍作鳥(くらつくりのとり)作

日本最古の大仏

聖徳太子孝養像

 

聖徳太子が16歳のときに父用明天皇の病気回復を祈願している姿だそうだ。(室町時代)

蘇我入鹿の首塚

私が興味を持っているので寄ってくれたようです。m(_ _)m

「乙巳の変(いっしのへん)」教科書にも載っている衝撃的な絵

 

「乙巳の変(いっしのへん)」

 

 

中大兄皇子と中臣鎌足が蘇我入鹿を暗殺した事変

このあとの一連の政治改革が大化の改新と言われる。

 

歴史は勝者を正当化するために塗り替えられる。

 

横暴で不敬不遜と教えられた蘇我氏の評価も近年大きく変わっているようである。

 

今回も素晴らしい撮影会でした。

 

2012.10.6

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byいとま放浪記