観光バスで片道4時間
あいにくの天気で桜島も見ることができなかった
到着したら、まず昼食
その後ポツポツと降る雨の中を歩いて特攻会館に向かった
特攻平和観音堂 |
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特攻平和観音 特別の許しを得て、法隆寺の秘仏「夢違い観音」(良くない夢や悪い夢を良い夢や楽しい夢に取り替える徳があるという)を模して謹鋳されたもの。 |
昭和17年にできた大刀洗陸軍飛行知覧分教所では、当初若き少年飛行兵が操縦訓練に日夜励んでいた。
町民たちはそんな彼らの姿を見て、これなら日本が負けるわけがないと頼もしく見つめていたという。
それが、本土最南端の特別攻撃隊の基地になろうとは誰が想像したことであろう。
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三角兵舎(再現) |
三角兵舎には多くの特攻隊隊員が万世、都城、台湾、熊本、鹿屋から集まり、ここで数日を過ごし南の空へ飛び立っていった。 僅か1日で飛び立っていったものもいたという。
中には、枕が涙でぐっしょり濡れたものもあったという。 だが、その日の朝は皆笑顔で晴れ晴れとして飛び立っていったという。
当時、知覧高等女学校の生徒が、女子勤労奉仕隊として通い食事の準備、掃除、洗濯、繕い物など特攻隊員の身の回りのお世話をした。 平和会館ではその方々の回想も見ることができる。
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ここ知覧には、各地から集まった特攻隊員1036柱の御霊のために、同じ数の石灯籠を建立中であり、既に1000を越えているそうである。 |
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「鎮魂の賦」 画:仲矢勝好 《6人の飛天が紅蓮の炎をあげている隼の機体から特攻隊員の魂魄を昇天させようとしている。》 まるで、ネロとパトラッシュが天使に連れられて昇天していく、感動のラストシーンを思い出させる。
この絵をネット上で見ただけで涙がこぼれてきた。 この絵は、館内のロビー正面に飾られている、
※ 参照:ジャプランブックス「知覧特別攻撃隊」村永 薫編 |
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館内には、中島 一式戦闘機「隼(はやぶさ)」、川崎 三式戦闘機「飛燕(ひえん)」、中島 四式戦闘機「疾風(はやて)」など多くの軍用機のほか、遺留品や遺書などが展示されている。
特に「飛燕」は日本にただ一機現存の貴重な資料である。 |
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富屋食堂(バスの窓から撮影) 特攻おばさん鳥浜とめさんと隊員たち |
特攻おばさん
鳥浜とめさんの富屋食堂は飛行学校が開設されて軍の指定食堂となった。
いつか、とめさんのことを隊員たちはお母さんと呼ぶようになった。
とめさんは特攻作戦が始まってからは家財を投げ打って隊員たちをもてなした。
館内ではとめさんが語る勝又少尉や宮川少尉のエピソードをビデオで見ることができる。
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宮川三郎少尉 |
ホタル
宮川三郎軍曹(少尉)は出撃の前夜にとめさんに挨拶に行き「明日わたしは沖縄に行き、敵艦をやっつけてくるから、帰ってきた時には宮川帰ってきたかと喜んでください」と言ったという。
とめさんが「どんなにして帰ってくるの?」と尋ねると「ホタルになって帰ってくると」と言ったそうである。
約束したとおり、大きなホタルが食堂裏の小川からやってきて白い花にとまった。 それを見たとめさんはみんなを呼び、「このホタルは宮川サブちゃんですよ。」というと みんながホタルを見ながら「同期の桜」を歌ったそうである。 |
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国を故郷を愛する者を守ろうとした彼らの決意と行動に感謝し、日本人としての誇りを忘れまいと思う。 そして、二度とこのような悲劇を繰り返してはいけないと思った。
僅か一時間ではとても足りなかった、次はゆっくりと家族で一泊して訪れたい
参考資料:ジャプランブックス「知覧特別攻撃隊」村永 薫編 |
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薩摩揚げ |
帰りのバスでは薩摩揚げを食べながらビール飲みながらであった。 |
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栗かるかんと知覧
お土産は薩摩揚げにかるかん(季節限定の栗かるかん)、 そして九州の三大茶である知覧茶 さっそく、知覧茶でかるかんを頂いた。 03’11.29 |
追加2013.2.20撮影 |
相互リンク :カミタクさん 「知覧特攻平和会館訪問記」