姫島 福岡県糸島半島の西方3km 玄界灘に浮かぶ孤島 ここは勤王の歌人 野村望東尼(ぼうとうに・もとに)が流罪になった島である。 望東尼が囚われた牢獄跡に御堂があると知り、いつか行ってみたいと思っていた。 |
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岐志漁港 |
個人の趣味なのだから、一人で行けば良いのだが 一人だとなぜか行く気がせず先延ばしにしていた。 ところが、この夏、女房が「姫島に行こうか?」と気を使ってくれたので行くことになった(^^ゞ 姫島〜岐志漁港の渡船は、1日4往復ある。 1便7時50分発で姫島に行き、島で昼食をとって、15時姫島発の3便で帰ってくればゆっくり島を見学できる。 早朝、高速道路をフルに使って岐志漁港に到着 駐車場は無料である。 |
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「ひめしま」という渡船に乗り込み、およそ16分で姫島に到着した。 大人片道460円
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島の産業は、漁業が主である。 |
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姫島保育所 小さい子供たちもいるようだ。
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野村望東尼御堂まで100mの標識
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100mだというのに迷路のようになっていて標識を見失い、海岸の方に降りてしまった。(^^ゞ
間違えついでに海岸線を歩くと太平洋戦争の忠魂碑などがあり、その奥に小学校が見えてきた。 |
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再び海岸線から御堂を目指す。 さっき通ったところと同じ道に合流した。 |
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望東尼御堂まで40m |
どうやら、この標識を見逃してしまったようだ。 |
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望東尼の御堂 御堂周辺はちょっとした野村望東尼の史跡エリアになっている。 |
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野村望東尼御堂 |
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牢獄の跡地に建てられた御堂の中に望東尼の人形が置かれている。 |
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望東尼の胸像 |
幕府による第二次長州征伐が行われようとしていた時期、福岡藩は完全に佐幕化し、勤王党の弾圧を始めた。(乙丑いっちゅうの獄)
野村望東尼は、多くの勤王の志士を匿った罪により、ここ姫島に流され投獄された。 慶応元年10月のことである。
高杉晋作も望東尼に匿われたひとりである。 長州藩は、禁門の変で敗退し朝敵となり、続く第一次長州征伐により幕府に恭順した。 その時の俗論派による勤王党弾圧から逃れるため、福岡に亡命した晋作は、再び長州藩を正義派の手に戻す(藩内革命)ための周旋活動をするが挫折する。 その時、平尾山荘で望東尼の世話になったのである。
※野村望東尼が囚われた時に詠んだ詩 「うき雲の かかるもよしや もののふの 大和心の かずにいりなば」勤王の志士の数に入れてもらったことを喜んでいるのである。 |
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望東尼の顕彰碑 |
救出された望東尼は、下関に匿われ晋作の最後を看取っている。
その後は、松陰の義弟、楫取素彦の世話により三田尻(山口県防府市)に住み、最後を迎えている。 |
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「野村望東尼獄中歌」姫島日記より抜粋された望東尼の歌碑 |
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ゆっくり昼食をとるにしても、これから15時発の渡航船までどうやって過ごそう・・・ |
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再びシーガルショップと憩いの広場 |
私があんまり焦っているので、女房も私の失敗を追及せず、作り笑顔を見せる(^^ゞ
クーラーの利いた、憩いの広場でアイスなどを買ってTVを見ながら昼食の時間まで潰した。 |
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我々が、ここに居るのがわかったらしく、お昼の仕度ができたと民宿の人が呼びに来てくれた。 |
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2012.8.17 参照:一坂太郎著「高杉晋作を歩く」
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